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100まで生きてみる!?

50歳になりました。あと半世紀生きてみようと思ってみたりして。 人生折り返し、されどまだ折り返したばかり そう思えば、まだこれから倍の楽しみがある! 目指せ100迄現役。

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小一時間の準備運動を終え、蔵造りの町メインストリートを右折すると
案内板が見えました。
ショートカットで喜多院を目指そうと思っていましたが
博物館ってどんなだっけなぁと、この道を真っすぐ歩く事に。。。



途中こんな場所の案内も見たけれど、真っ暗で何も見えず



更に歩いて行くと、こんなモノに遭遇〜 ちと怖いぞえ



何の店かと近寄れば、「道灌まんじゅう」の看板が・・・
ネットで調べたら、大正10年創業の老舗らしい。

道灌まんじゅう クリックして詳細を見る

このリンク先の写真に見る店頭に兎はいないのだけど
この店を取り上げたブログ記事にはチラホラと登場していますが
一体、いつから居るのかまでは書かれていませんでした。

 昼間見るには愛嬌も?・・・微妙〜

そして、すぐ隣が川越市立美術館&博物館



息子を乳母車に乗せて観に来た覚えがあります。

対面には初雁公園や川越城本丸御殿もあるのだけど
広過ぎて徘徊は断念。

さて、目の前に国道254号線が見えて来ました。
ココを右に曲がって(写真手前方向)昔の居住地を目指します。



R254を700m程歩くとスクランブル交差点があってそこを右折。
喜多院迄850mの表示が見えます。(暗くてすみません)



この通りを少し進んだ右手の路地に、かの居住地があるのですが
距離感には覚えが無く、夜ということもあって
見つかるまで、辺りを10分ほどグルグルしてました。
そんな所を警察の巡回なんぞに出くわしたら完ぺきに職質ですな^^;emoji

そしてついに発見!が、残っていたのは隣の1軒のみ。。。
同じ形の平屋の一軒家が二棟あったのだけど
我が家族が住んでいた棟は無く、新築の一戸建てになってました。

いやまてよ・・・・ ストリートビューで・・・・・
wao!!ストリートビューには未だ残ってたよ〜 感激!!!



左端の窓のある3畳間が僕の仕事部屋で、裏庭なんかもあって
家賃は手渡しで、支払通帳にはんこを押してもらって
とても人あたりの柔らかいお爺ちゃんで、人情があったなぁ。

さて、この地では忘れられない不思議な事件(エピソード)
があります。

息子がハイハイができるようになった頃の事。
嫁が外出し、僕が仕事をしながら息子と二人、
気がつくと家の中に息子の姿が見えず、家の周りにもいない。
え、ええ〜!? 何処に消えたの〜〜?
おーい息子や〜何処に行ったんだ〜〜

誘拐?ったって人が出入りした気配は無く
ハイハイできるとはいえ玄関は膝高の段差もあれば
路地に出るにも写真見ての通り、門扉も階段も。

ご近所の誰かが保護している感じも無いので
とにかく周囲を探し回りました。
そして、喜多院に向かう道路沿いにあるGSまで行くと
女性店員に抱かれた息子を発見!



様子を聞いてみると、
道の真ん中に赤ちゃんが座ってるからビックリした
というんです。
彼女もハイハイしている息子を見た訳ではないのです。
家からGSまでのルートを航空写真を使って説明すると



このように、距離は約100m。
車道に出るまでの直線はちょっとした上り坂です。

いなくなったのに気付いてから発見まで
何分くらいかかったのかは覚えていませんが
何十分もはかかっていなかったように思います。

ハイハイしかできない赤ちゃんが
どうしたらこんな移動ができたのか・・・

今考えても、事故に合っていたかもしれないと思うと
とても怖い出来事なのだけど、
発見時泣いていた様子も無く、これはもう
テレポーテーション(瞬間移動)したとしか思えません。

息子よ、おまえはテレポーターかもしれないぞ!

はぁぁぁ....私の徘徊日記のはずが、
息子の徘徊エピソードになってしまいました。
やはり親子の血は争えないってことですね。
え?そうじゃない?

落ちが着いたところで、中編終了します。
(文字が多くて読むのも疲れますね)

いよいよ残すは喜多院を巡る後編 おっ楽しみに〜(^o^)/





100歳まで  あと47年8ヶ月と20日








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6日で3回(村田英雄さんの武勇伝じゃないよ)始発待ち。

飲んじゃうとダメなんだな〜

自分から場を閉めることが苦手なので、ついついギリギリまで^^;

場が楽しいと時間は気にしなくなってしまう。

どんだけ子供なんだろうねぇ

出かけたら帰って来ない鉄砲玉。

きっと死ぬ迄繰り返していると思うけど

いつか身体の方が着いていかなくなるんだろうなぁ。。。

死んだらこの世を隅々までフワフワ徘徊して

成仏したらあの世を徘徊しまくろう。

あ、バカは死んでも治らないってのはそういう事か。





100歳まで あと47年8ヶ月と22日


去る4日 四谷で知人のレコーディングを終え

夕飯をご馳走になった帰り、地下鉄の乗り換えをミスらなければ

終電には間に合ったはずが、そこは軽い酔いも手伝って完全ミス。

川越でカラオケBOXかネットカフェで始発待ち・・・いや待てよ

何だか元気だし、外気も心地よい。

お金使って空気の悪い密室にいるより喜多院の桜でも見てくるか 

と思い立ったら、他の景色も見たくなってぐるっと一巡りすることに。

さて、その散歩したルートがコレ

その1(川越駅〜連雀町) その2(連雀町〜成田山)
 

その3(成田山〜川越市駅)



川越は、結婚と長男の出産を機に都内から埼玉に移り住んだ最初の地

地図上のマーカーAの地点が24年前に住んでいた場所です。

結局、徘徊はこの場所が中心になるように時計回りに進みました。

さて、スタートは川越繁華街のクレアモールから。
ここを入ってすぐの所にカラオケもネットカフェもあります。

     

クレアモール1/3程進んだ左手のこのブティック
24年前は、愛知っ子には涙物の寿がきやが入っていました。



更に進んで中腹辺りの交差点を左折して本川越駅前に向かいます。

  を左折して...  

本川越駅pepeを左斜めに見て右折 蔵造りの街を目指します。



その前にちょっと小用。なんとお洒落なトイレだこと^^



さて蔵造りへ・・・アレ?工事中だ
ナント!20m道路に拡張されるらしい。
この通りは川越祭りの時に山車も通るし広くなるのは大歓迎。



少し進んだ左手に川越七福神の第5番蓮磬時が...
ここで自画撮り〜。

  

気分と裏腹しょっぱい顔(笑)



蓮磬寺を出て少し歩くとこんな看板を発見!



黄門様がラーメンを?食べられる訳ないじゃん
どんなお店かな〜・・・閉店 御老公の力も平成迄は及ばず ってか。



さて、いよいよ蔵造りの街並へ。しばし写真をご覧あれ。

 



さすが川越 駐車場の看板もポストもこんなです。

 

蔵造りの街の中腹にある大正時代の洋館「埼玉りそな銀行」

 昼間は

さて、川越と云えば時の鐘も有名なのですが。暗過ぎて写らなかった。

 昼間の写真借用

菓子屋横町にも行ってみたかったけれど、夜中じゃ意味無いので止め



スタートしてここまで約1時間 時は午前2時20分まだまだ元気!


これから蔵造りを離れ24年前の居住地を目指します が

書くのに疲れたので、続きは中編でお楽しみ下さ〜い。^^;







100歳まで  あと47年8ヶ月と24日










手帳を見直してみた。

家に一日居たのは2日だけだった。

手帳って付けておくもんだね(笑)その日何をしたのか

この歳になると昨日の記憶が怪しい(自分だけ?)だけに

ワンコメントだけでも記入してあると記憶を手繰る事が出来て助かる。

3月は観劇が2本 飲みが3回emoji 

柏勤務やPのリハビリ&レコ他外出は20日を越え

残りがアルバイト。



あ〜〜〜20日以上電車使うなら池袋まで定期買うんだったなぁemoji

田舎に住んでると交通費ってバカにならない。

寝不足に弱くなった気がする。

バイトが少し体力勝負系なだけに、充分寝ていないと身体が重いし

次の日に響く。。。

関節の異常(硬いや痛い)を常に意識するようになったのも

3月に入ってから。

最近は左股関節が痛い。

関節年齢は明らかに+10歳を越えてると思う。


昨年の今頃は柏の常勤からの開放感に満ちていた。

現在は、柏に通わなくていいという安心感がお腹の底の方にある感じ。

ホールの舞台管理業務に就いて5年

5年も務められるとは思わなかったけど

音楽の仕事が減ったからだけでなく

小屋付きは自分の肌に合っていた気がする。

もし、地元愛知でこの職に就いていたなら

定年まで勤めていたかもしれないな。。。




しかし、これで自分もフリーターになった(笑)

作編曲家・ミュージシャンという肩書きは今は亡きに等しい。emoji

名刺を作りたいと思うけど、肩書きをどうするか?

これはつまりこれからの自分を何者と語って行くのかに通じる。

音楽もお芝居も声も、表現の手段だと思えばやはり表現者かな。

話の枠が広がり過ぎて来たのでここらで仕舞いとします。

今年度の課題は労働と表現の両立です。

股関節何とかしないとな。





100歳まで  あと47年と9ヶ月

















さて、いよいよ本日柏勤め最終日(のハズ)

赴任当時は、福島第一原発の放射能汚染HOT POINTとして

騒がれた土地でしたが、3年間居住もし、

更にこの1年は本数こそ減ったけれど通い続けました。

通勤路には急勾配の坂が在り、昇りは毎日死ぬ思いで

「この坂を昇り切れなくなったら柏勤めはお仕舞いだ」と

区切りの目処にしながら自転車を漕ぎました。

駅前のドンキホーテには衣・食・住他

とにかく毎日のようにお世話になりました。

そして、ラーメン好きの自分、柏にお気に入りが2店あります。

1つは駅近くの三代目てらっちょ

大好きなとんこつラーメンの中でも

この店で、スープが緑色の「坦々とんこつ」ラーメンに出会ってから

ここではそれしか食べなくなりました(笑)

この写真だと緑がわかんないけどねー クリックしたら拡大されます。


  

八角のような風味の舌がシビレる香辛料が独特です。


そしてもう一つのお気に入りは

会館と駅の中間辺りに在る猪太

ここは土鍋ラーメンで、蓋を開けると暫くはぐつぐつと煮えています。

ここでもお気に入りは担々麺。

    

ここの最大の特徴は、麺がラーメンっぽくない事。

蕎麦のような素麺のようなそれでいてもちもちしています。

ラーメンというより麺料理と言った方がしっくり来ます。


このお気に入りの2店は、残念な事に柏にしか存在しないので、

食べ納めをして来ました。

池袋辺りに分家出してくれないかな〜・・・


今日は勤務後、お疲れさま会で北千住(クリックで地図表示)

で飲んできま〜す。行ってきま〜す!





100歳まで  あと47年9ヶ月と8日








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プロフィール
HN:
ごじぃさん
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1963/01/02
職業:
自由業
自己紹介:
糖尿、痔&妻子持ちです。

甘い物に目が有りません。

高校卒業後、専門学校で1年音楽を学ぶ

同時にバンド活動開始

20歳からアーチストやタレントのバックバンドで
キーボードを弾く

23歳当時所属していたバンドでレコードデビュー

シングル1枚リリースのみで解散

その後編曲・作曲を独学で身に付け、
企業のイメージソングや社歌、BGM等を皮切りに
多数の作品を手がける

40歳前後、音楽人としてのピークを迎え
その後は下り坂人生を歩む

48歳で初めて音楽以外の定職に就く

ホール管理(小屋付き)という舞台の裏の更に裏のような影で
舞台を支える仕事の喜びを知るも
自分の本来の居場所では無い事にストレスとジレンマがピークに達す

51歳の今年、ホール管理は非常勤で従事しつつ
表舞台への再出発を始める

このブログは
「諦めない」 「やり続ける」 を信条に
100歳まで現役で精一杯活きる為の記録です
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